6月議会一般質問①憲法改正
さる6月3日に行った一般質問の全文と県当局の答弁を掲載いたします。
長文ですがご了承ください‥
【質問】
ロシアによるウクライナ侵略に世界が震撼しています。主権国家に対する全面的な武力侵攻は明確な国際法違反であり、民間人への無差別攻撃はもちろんのこと、断じて許されることではありません。私は元陸上自衛官としてこれまで、わが国を取り巻く安全保障環境が年々厳しくなっていることを指摘してまいりました。冷戦終結以降、国家同士の正規戦よりもテロ組織など多様な主体による非正規紛争が増加し、むしろ世界の不確実性は高まっていること。北朝鮮のミサイル発射事案はもとより、中国の急速な軍拡と南シナ海、香港、台湾そして尖閣諸島周辺における強権的なふるまいなど、日本の周辺では、私たちが好むと好まざるとに関わらず、平和に対する脅威が差し迫っております。そうしたことを主張するたびに、大げさだとか危機を煽っているという批判を受けたこともありましたが、今回のウクライナ情勢は、まさに国際社会の冷酷な現実を私たちに突き付けたのではないでしょうか。
憲法9条による非戦の誓いが、わが国の徹底した平和主義を内外に印象付けてきたことは間違いありません。その下で経済成長を実現し、平和で豊かな生活を享受できてきたことは誇るべきだと思います。しかしその崇高な理念の裏で、泥にまみれ厳しい訓練に耐え、米国の力も借りながら日本の平和を守ってきた者の一人として、この場を借りて言わせていただきたいと思います。日本国憲法は、世界の現実に合わせて改正すべきです。現代の日本で、好き好んで戦争をしたい人などおりませんので、平和主義の理念も専守防衛の原則も一切変える必要はありません。しかしながら「国の交戦権はこれを認めない。」とか「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。」といった、戦勝国が敗戦国に武装解除を命じたかのような文言は、およそ国際社会では考えられないような制約を自衛隊に課しており、それが結果として周辺国に付け入る隙を与えてきたということを認識すべきです。自国政府のみが悪者だという固定観念に立って、自らの手足をどう縛るかという議論に終始するのはそろそろやめにしましょう。世界には残念ながら話し合いの通じない国家もあるという現実を受け入れて、どうやって日本の平和を守っていくのかという具体的で理性的な議論を始めるべきではないでしょうか。
憲法改正に関する最近の知事のご発言は様々な議論を呼んでいるようですが、困難な時代こそ、万機公論に決すべしです。様々な角度から率直な意見を出し合い議論するのが民主主義の本質であり、自分と異なる意見は表明すらも認めないというのはある種の言論弾圧とも言えるのではないでしょうか。今一度、世界と日本の現状を鑑みたうえで、知事の憲法改正に関するお考えを伺います。
【答弁】(知事)
日本国憲法は、第二次世界大戦での悲惨な体験を踏まえ、戦争に対する深い反省から、戦争の放棄と世界の恒久平和をうたっており、その基本原則は今後も変えるべきではないと認識しております。
一方で、現在の世界の情勢に目を向けますと、ロシアによるウクライナ侵攻により、いやおうなしに戦争に巻き込まれた人々が、一瞬にして平和な日常生活を奪われているほか、今年に入り、北朝鮮が十数回にもわたって日本海に向けてミサイル発射を繰り返すなど、憲法施行から75年を経て、我が国を取り巻く状況は大きく変化しております。
こうしたことも含め、大きく変化した社会経済環境や防衛環境に合わせて、国民の間で憲法に関する議論を十分に尽くす必要があり、未来永ごう不変なものとして捉えることなく、必要な事項については改正していくべきであると考えております。
特に、これまで政府は、自衛隊の存在について、憲法第九条のもとでも、国としての自然権あるいは国際法上からも、自衛のための実力組織を持つことが可能という解釈をしてきておりますが、いまだ憲法違反という声も根強く、国民感情からは釈然としない面もあります。
そのような中、近隣の緊張状態が続いており、いったん事ある時には自らの生命を賭して任務にあたる自衛官の尊厳を守り、また、国民の支持のもとに任務を全うしたいという自衛官の心情に応えるためにも、9条の平和希求の理念を保ちながら、自衛隊の存在と任務を憲法上に位置づけることが必要ではないかと考えております。