鹿角国体をなぜやるのか

2022.02.17

鹿角国体2022の開催に対し、異論の声が噴出している。

特に目立つのが部活動やスポ少に関わる親たちからの、「子どもたちのスポーツはやらせないくせになんで国体はやるのだ」という不満である。実は私自身も次男が中学の部活動、次女がスポ少をやっており、特に次女は新人チームとなって最初の大事な大会が第6波で中止となってしまったという当事者だ。また飲食店からは、まん延防止等重点措置を要請しないのは鹿角国体をやりたいからだろうという風説も聞かれ、これまた県知事への反発になっている。そこで先日の県政協議会において知事にこうした声を伝え、その意図を問うた。

まずはじめに、「まん延防止等重点措置までなら、国からも全国大会はやるように言われている」という旨の発言。これは文書としては裏が取れず、令和3年11月改定の「スポーツイベントの再開に向けた感染拡大予防ガイドライン」(日本スポーツ協会他)に、緊急事態措置の対象とならない地域では普通に開催しうるような記載があることは確認された(したがって「まん防見送りは国体のため」ということはない)。たしかに全国に目を向けてみれば、もう一つの冬季国体(スケート主体)であるとちぎ国体は累計感染者数が3万7,000人を超える栃木県で開催中であり、第6波でも全国大会はなるべく開催していこうという雰囲気はあるのだろう。スポーツ庁、地元の自治体や医師会との協議を重ねた結論だそうだが、県外目線で秋田県の感染状況を見ると、鹿角国体を中止すべき状況にないのは確かだ。

またとちぎ国体を含め他県の大会に秋田県は選手団を派遣しており、そっちには選手を出すけどこっちはお断り、というわけにもいかないという知事の心情も理解できる。とかくスポーツは、その種目に関係の薄い人からすれば不要不急と思われがちだが、当の選手たちからすると、全国大会などは気の遠くなるような時間と努力の集大成である。それはスポ少であろうと同じではあるものの(後述)、その気持ちに寄り添うならば「中止」の判断は簡単にできるものではない。

そして鹿角国体は、感染予防策もガチガチだという。無観客開催はもちろん、選手・関係者のみならず表彰式への招待者に至るまで全員PCR検査を求められ、夜間の外出等も厳に制約される。選手たちも人生を賭けて参加してくるため、かなり強めの感染予防策も徹底が可能なのだろう。加えて知事が言うには、屋外での冬季スポーツでの感染クラスターは起きていない(これも本当に皆無かどうかは調査しようがないが)。

いま活動を制限されている子どもたちが不運なのは、秋田県の第6波がまさに子どものスポーツから広がったという点だ。今日現在も小学校を中心に、子どもたちの間で感染拡大は収まっていない。わが子も含め子どもたちの大事な機会を失ってしまうことは真に耐え難いのだが、国体と同レベルの感染予防策を担保できない環境で、膨大な人数による部活動やスポ少を一律に再開するという判断はなかなか難しいのではないか、と私も考える。ただその場合でも、感染の全く出ていない学校は活動できるのではないか、また一部分だけでも再開できるような工夫はないのか、といった努力は惜しむべきではない。

なおこうした判断は「誰が決めるのか」を明らかにしておくと、県が直接決めるのは県立学校(主に高校)の部活動の方針である。中学校の部活動は各市町村の教育委員会が、スポ少はスポーツ協会のスポーツ少年団室が基本的にその方針を決定する。これまでは、県立学校の部活動の方針が決まるとそれが市町村教委やスポーツ協会に連絡され、各組織でそれに準じた形の判断をすることが多かった。しかし今回は、小中学校と高校で感染状況にかなり差が出てきており、さらに地域間での差も大きいため、各市町村教委などが独自の判断をすると思われる。

最後に、コロナはただの風邪なのだから全面解禁で差し支えないという考え方について。秋田県には2月16日時点で1,700人を超える感染者がいるが、重症者はいない。たしかに感染による死亡などのリスクと経済社会活動の犠牲を比較衡量すると、もはやこの感染症に大騒ぎすること自体が正しいのかわからなくなってくる。しかし自宅待機期間の長さなどはある程度裁量に任せられているものの、そもそも法律で定められている感染症の取り扱いを都道府県のレベルで根本的に変更することはできない。2類から5類への格下げは政府と国会で議論すべきことであり、県はいま与えられている枠組みでできる範囲の手段を検討せざるを得ないのである。その前提においては、秋田県の限られた医療資源や子どもの感染による家族の労働停止の影響をリアルに想定すると、難しい判断になるのは理解できる。

問題はこうした思考過程や断腸の思い、申し訳ないという気持ちが県民にほとんど伝わっていないことだ。さもないような話し方でこの犠牲を強いられれば、それは不満も出るというもの。その点を知事には伝え、ちゃんと県民に理解されるようなメッセージを発するよう求めたのだが、今のところそうした動きは見えないので本ブログをもって伝えさせていただいた。